相続人の中に判断能力が不十分な方がいる
私が「遺言書を作成しておいたほうが良い」と考えるケースについて、連載第五回目は「相続人の中に判断能力が不十分な方がいる」ケースです。例えば、相続人の中に、認知症や知的障がい、精神障がいなどのために、自身で遺産分割協議を行うことが難しい方がいる場合です。このことを理解するために、まずは成年後見制度について簡単に説明いたします。
「成年後見制度」とは
認知症、知的障がい、精神障がいなどの理由で判断能力の不十分な方々は、不動産や預貯金などの財産を管理したり、身のまわりの世話のために介護などのサービスや施設への入所に関する契約を結んだり、遺産分割の協議をしたりする必要があっても、自分でこれらのことをするのが難しい場合があります。また、自分に不利益な契約であってもよく判断ができずに契約を結んでしまい、悪徳商法の被害にあうおそれもあります。このような判断能力の不十分な方々を保護し、支援するのが成年後見制度です。(法務省HPより抜粋)
成年後見制度を利用するには、家庭裁判所に申立てを行う必要があります。判断能力の程度によって後見人、保佐人、補助人が選任され、その後見人等が判断能力の不十分な方々をサポートします(サポートを受ける側の方を被後見人、被保佐人、被補助人といいます。)。
「相続人の中に判断能力が不十分な方がいる」ケースについて
今回も具体的な事例で考えていきましょう。亡くなったのはAさんで、妻のBさんと2人で暮らしていました。Bさんは認知症であり、遺産分割協議を行うのは難しい状態ですが、まだ成年後見制度の利用はしていません。AさんにはBさんとの間に長男のCさんと二男のDさんがいます。長男のCさんは、Aさん亡き後の認知症のBさんのことは自分が面倒を見たいと思っています。Aさんの遺産は自宅の土地建物(2,000万円相当)と預貯金(2,000万円)です。特別受益や寄与分等についてはないものとします。
「遺言書を作成していない場合」
このようなケースで遺言書を作成していない場合はどうなるでしょうか。法定相続人は妻Bさんと長男Cさんと二男Dさんの3人です。法定相続分については、Aさんの遺産価値の合計が4,000万円ですので妻Bさんが2,000万円、長男Cさんが1,000万円、二男Dさんが1,000万円です。
この場合に想定し得る問題点は3つあります。
1つ目は、「このままでは遺産分割協議を行うことができない」という点です。前述のとおり、妻Bさんは認知症のため判断能力が不十分であり、遺産分割協議を行うことができません。この場合は、遺産分割協議を行う前に家庭裁判所に成年後見の申立てをし、選任された後見人が遺産分割協議に参加することになります。
2つ目は、「成年後見人は家庭裁判所が選任する」という点です。例えば今回の事例で、長男CさんをBさんの後見人にして欲しいと希望したとしても、家庭裁判所がそのとおりに選任してくれるとは限りません。後見人には親族のほかにも専門家(司法書士、弁護士など)が選任されることがありますが、特に資産が多い方の後見人には専門家が選任される可能性が高くなります。後見人には、申立てがなされ家庭裁判所から報酬付与の審判がされれば、報酬を支払わなくてはなりません。成年後見人の職務は遺産分割協議が終わった後も続きますので、報酬を支払い続けなければいけないことが負担となることもあるでしょう。
3つ目は、「親族(事例の長男Cさん)が後見人になったとしても、特別代理人を選任しなければならない」という点です。今回の事例で長男CさんがBさんの後見人になった場合、長男Cさんは「Aさんの相続人であるCさん」という立場と「Aさんの相続人であるBさんの後見人」という立場を兼ねることとなります。この場合、仮に遺産分割協議において長男Cさんが両方の立場で協議に参加できるとすると、長男Cさんが、自分がBさんの後見人であることを利用して、Bさんの相続分を少なくし、その代わりに自分の相続分を多くするような行為をするかもしれません。これを利益相反行為といい、この場合は、原則として、被後見人(Bさん)のために家庭裁判所で特別代理人を選任し、後見人(Cさん)ではなく特別代理人が被後見人(Bさん)の代理人として遺産分割協議に参加することになります。
以上のように、遺言書が作成していない場合、様々な手続きを経て遺産分割協議をすることになり、相続人にとってかなりの負担となります。
「遺言書を作成している場合」
それでは遺言書を作成している場合はどうでしょうか。
「遺言書作成のススメ~vol.1~」の「遺言書を作成している場合」の記事でもご紹介していますが、遺言書があれば遺産分割協議を行う必要はありませんし、基本的には遺言書に記載したとおりに相続させることができます。
今回の事例では、遺言書の中で遺言執行者を指定しておくことが重要です。遺言書がある場合、遺言書により財産を相続することになった相続人が単独で相続手続き(例えば土地建物の名義変更や銀行の預金払戻手続き)を行うことができますが、認知症で判断能力が不十分の方は自身で相続手続きを行うことができません。遺言執行者を指定しておけば、遺言執行者が相続手続きを行うことができるので安心です。
また、今回の事例で遺言書を作成しておくメリットとして「負担付遺贈」ができることがあります。負担付遺贈とは、遺言で財産を与える代わりに何らかの義務を課すことです。例えば、長男Cさんに自宅の土地建物を与える代わりに妻Bさんの世話をする義務を課すといった負担付遺贈が考えられます。負担が履行されなくても遺贈は当然には無効にはなりませんが、負担が履行されない場合、遺言者の相続人や遺言執行者は、期間を定めて負担を履行するように催告をすることができます。なお、負担付遺贈は遺贈を受ける方が放棄することができますので、遺言を作成する際に、遺贈を受ける方が負担を承諾するか確認しておいた方がいいでしょう。
遺言書を作成する場合、配偶者、子、直系尊属には遺留分(法律で定められた最低限の遺産取得分のこと)がありますので注意が必要です。例えば、配偶者及び子が相続人である場合の各人の遺留分は法定相続分に2分の1を乗じた額ですので、事例の妻Bさんの遺留分額は1,000万円、長男Cさん及び二男Dさんの遺留分額は各500万円です。遺留分を侵害しない内容の遺言書を作成するか、遺留分を侵害してしまう場合はその理由を付言事項(遺言書に書かれる遺言者からのメッセージのことです。法的な拘束力はありません。)に記載することが望ましいでしょう。今回の事例で言えば、認知症の妻Bさんの生活のために妻Bさんや介護をする長男Cさんに多く財産を残したことを記せば、二男Dさんにもその気持ちが伝わるのではないでしょうか。
以上が、私が「相続人の中に判断能力が不十分な方がいる」ケースは遺言書を作成しておいたほうが良いと考える理由です。遺言書を作成するかどうか悩まれている方がいらっしゃいましたら参考にしていただけると幸いです。